横浜地方裁判所 昭和40年(ヨ)516号 決定 1965年12月21日
申請人 山形鉄也 外二五名
被申請人 西区タクシー株式会社
主文
被申請人は申請人らに対し、それぞれ別紙債権目録IV欄記載の金員を仮に支払え。
申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
理由
第一当事者双方の求める裁判
申請人らは主文第一項と同旨の裁判を、被申請人は申請却下の裁判を、それぞれ求めた。
第二当事者間に争いのない事実
(一) 被申請人(以下会社という。)は、タクシー営業(一般乗用旅客自動車運送事業)を営む会社であり、申請人らは会社従業員でもつて組織する全国自動車交通労働組合連合会神奈川地方自動車交通労働組合西区タクシー支部(以下組合という)の組合員である。
(二) ところで、会社と組合との間には、昭和三九年六月一二日付賃金協定(以下旧賃金協定という)が存在し、従来これに基づき会社は申請人らに賃金を支払つていた。これによれば、昭和四〇年六月二五日申請人らが支給を受くべき同年六月分賃金は、それぞれ別紙債権目録II欄記載のとおりの金員になるところ、会社は同目録III欄記載のとおりの金員を支給したのみであつた。
第三争点
一、会社側の主張
(一) 旧賃金協定の失効
旧賃金協定は昭和四〇年六月二五日には既に失効しており、同協定に基いて算定した賃金を基準として現実受給額との差額の仮払いを求める申請人らの主張は理由がない。即ち、会社と組合との間で昭和三六年一一月二一日締結された労働協約は、昭和四〇年三月八日に有効期間が満了するはずであつたが、昭和四〇年一月中、会社には経営不振を事由とする代表者の交替などがあつたので、会社はその再建のため、右期限をもつて労働協約並びにこれと一体をなす附属協定たる旧賃金協定を失効させ、新たに労働協約及びこれに付属する協約一切を締結する方針で、組合と交渉に入つたところ、昭和四〇年二月六日に至り、組合も右協約並びに付属協定等を同年三月八日をもつて失効させることを了解した。しかるに組合は右了解事項を文書化する段階に至り、組合はその文書に会社再建に協力する旨の文言があることを理由に調印することを拒んだ。そこで会社は、同年二月七日付申入書をもつて組合に対し、前記了解事項に従い、労働協約及び付属協定は同年三月八日をもつて失効する旨の意思表示をなし、右意思表示は同年二月七日頃組合に到達した。よつて会社としては、まず右協約および付属協定等は会社・組合両者の合意により昭和四〇年三月八日をもつて失効した旨主張し、仮にしからずとするも、同年二月七日付の前記意思表示により同日より九〇日、又は労働協約の有効期間満了後九〇日を経過した日をもつて失効した旨主張する。もつとも労働協約第五四条によれば、労働協約中労働条件についての規定は、労働協約の有効期間が経過しても、新たに協約が締結される迄は有効なものとして取扱われる旨規定されている。そこで会社は組合に対し、前示昭和四〇年二月七日付でした意思表示の際、同年三月八日失効する労働協約及び付属協定等にかわる新たな労働協約(賃金協定を含め)を締結するため団体交渉をもつことを申入れたのであるが、組合は会社役員の交替に伴なう慰労金支給の要求を固執し、この件の解決ある迄は、その他の話合いには一切応じないとの態度をとり、右団体交渉の申入れに応ぜず、この態度は、昭和四〇年三月一九日組合員の中より、組合幹部の方針に反対して組合より脱退する者ができ、これらの者が西区タクシー労働組合(以下新組合という)を結成し、昭和四〇年六月五日組合員数三四名の新組合が会社と新たに賃金協定(以下新賃金協定という)を締結するに至つても、全く変らなかつた(新賃金協定締結時、組合の組合員数は二七名)。そもそも右労働協約第五四条の趣旨は、労働協約の有効期間満了後労使双方の協議によつて相当の期間内に新たな協約が締結されることを予想して、それ迄の間無協約状態のまま放置することはできないので、その間労働条件に関する条項を暫定的に有効なものとして適用しようとするものにほかならないから、そのためには会社並びに組合が新協約締結のため誠実な努力を重ねていることが必要であり、然らざる限り労働条件に関する部分もまた失効すると解すべきものである。ところで、前述のごとき組合の態度は、理由なく新協約締結のための協議を拒否しているといえるので、前記労働協約中の労働条件に関する部分もすでに失効しているというべきである。従つて、右協約に付属し、これと一体化している旧賃金協定も失効したこと明白であり、会社としてはやむをえず新組合との間に成立した新賃金協定に基いて算定した六月分賃金を申請人らに支給したわけである。なおいわゆる労働協約の余後効なるものも、かように新協約締結の交渉を拒否している組合に対しては、認めることが許されないと解すべきである。
(二) 仮処分の必要性
本件仮処分申請はその必要性がない。即ち、会社が昭和四〇年六月二五日申請人らに支給した六月分賃金は、新賃金協定に従つて算出したものであつて、右賃金協定は旧賃金協定と比較してみて、一カ月当り水揚高が一一八、三〇〇円以上の場合にはかえつて賃上げとなるのであり、新賃金協定それ自体が旧賃金協定より労働者に不利なものであるということはできない。申請人らに対する六月分支給賃金が旧賃金協定に基いて算定した額に比し低額になつたのは、申請人らがストライキや職場放棄等によつて水揚を低下させたことに起因するのであつて、自ら招いた結果というべきである。従つて本件仮処分は急迫なる強暴を防ぐためなどの必要性の要件を欠いている。
二、申請人らの主張
(一) 旧賃金協定の効力
本件旧賃金協定は会社の主張する労働協約の付属協定ではない。むしろ賃金に関する問題については賃金協定が主たる労働協約なのである。このことは、賃金に関する事項については、まず賃金協定が適用され、協定に規定のない点に限り労働協約の適用があるとされる両者の建前から明白である。右の点は賃金を定めるについての労使間の慣行および社会的実情からも論証される。即ち賃金は社会的諸条件とくに労働者の生活状態の変動によつてたえず変更を余儀なくされ、長期に亘り固定した取極めをするのに親しまない事項である。そこで賃金に関する労働協約は、それ以外の労働条件に関する協約とは別個に締結され、通常期間の定めのない協約として成立し、当事者の要求によつて、その都度他の協約の改廃とは無関係に改正されていくのである。旧賃金協定もその付則第一七条に「本協定は昭和三九年六月分賃金より実施する。昭和三八年六月一九日付賃金協定はこれを廃止する」と定めているが、これによつても旧賃金協定は他の労働協約の存在を意識し、これとの関係において締結されたものとはとうていいえない。一方、会社主張の昭和四〇年二月七日付意思表示なるものには、旧賃金協定を破棄する旨の文言は全く表われていない。従つて、右意思表示によつて旧賃金協定が失効することはない。
しかも右意思表示によつて、労働協約それ自体が全面的に失効しているとさえいうこともできない。何故ならば、労働協約第五四条により、新協約成立迄は従前の協約中労働条件に関する部分が効力を有するものとされているが、本件においては未だ会社と組合間に新協約が締結されていないからである。従つて、労働条件に関する旧賃金協定が失効していないことは当然である。この点に関し、右協約第五四条は本件に適用されない旨の会社の主張は誤つている。即ち、会社は、組合側において従前の労働協約の有効期限経過後、新協約締結のための努力を払わない故、その労働条件に関する部分も失効すべき旨主張しているが、新たな協定締結の努力を払わないのは組合ではなく会社側であつて、会社は組合に対し、新組合と同一内容の協約を締結せよとの態度を固執し、組合の要求には一顧もしないとの方針で交渉に臨んできていた上組合よりの賃上の要求を含む団体交渉の申入れをしばしば拒絶することさえあつた。かようなかたくなな会社の態度こそ労使間の協議義務に違背し、新たな労働協約の締結を妨げているのであるから、仮りに旧賃金協定が労働協約の附属規定であり、これに従属して失効するとしたところで、右協約第五四条の規定により、なお旧賃金協定は有効に存続しているこというまでもない。
また、仮りに会社の主張するような理由で、労働協約および旧賃金協定が失効したとしても、これにかわるべき新協約および賃金協定が締結されていない以上、いわゆる労働協約の余後効により、本件六月分の支払賃金は旧賃金協定により支払われるべきものである。以上のとおり、いずれの点からみても、申請人らは会社に対し、旧賃金協定に基いて算定した別紙目録II欄記載の各賃金債権をもつており、現に支給を受けたIII欄記載の各金額との差額たるIV欄記載の各金員請求権を有することになる。
(二) 仮処分の必要性
申請人らは会社より支給される賃金のみで生活している労働者であつて、一カ月当り一万円前後の賃金の支払を拒否されることは、その生活に多大の影響を与え、その生活維持を著るしく困難或は不能においこむこと明らかであつて、本案訴訟の結果を待つていては、回復しがたい損害を蒙るこというまでもないから、本件仮処分はその必要性ありといわねばならない。
第四当裁判所の判断
一、被保全権利の存否について
(一) まず旧賃金協定が会社の主張する如く、労働協約の付属協定に過ぎないか、或はこれとは別個独立の労働協約であるかについて検討する。
疎乙第六号証によれば、会社と組合との間で昭和三六年一一月二一日付で締結された労働協約は、その第二八条において従業員の給与については右労働協約並びに賃金協定の定めるところによつて行う旨宣言し、以下数箇条において従業員の賃金形態および支給基準日等につきその大綱を定めた上、細部については別に定める賃金協定に依るとしていることが認められ、かような規定の仕様を一瞥するときは、別に定められる賃金協定なるものは、基本たる労働協約に従属する細則規定であつて、労働協約が失効するときはこれに伴い当然に失効すべき性格をもつていると考えられないでもない。しかし疎甲第一及び乙第六号証によると、旧賃金協定は、まず、「此の協定は西区タクシー株式会社の従業員の賃金に関する事項を定めたものである。此の協定に定めのない事項については労働協約の定める処に依る。」と立言したうえで、従業員の給与につき右労働協約の定める賃金形態および支給基準日等の大綱を再び宣明するとともに、賃金は月給制を原則とすることを明らかにし、基準内賃金と基準外賃金の各種別および金額算定の具体的基準を明細に定めていて、従業員の賃金支給に関してはそれのみで自足的に明らかにすることができ、他に労働協約の規定を比較対照しないと賃金に関する事項が不明確になるおそれなどはないことを認めることができる。すなわち、旧賃金協定は、その方式および内容からみて賃金に関しては、労働協約との間に必らずしも相互依存の関係がない独立の協定たる資格を備えたものとみることができるわけである。加えるに前同甲第一及び乙第六号証によれば、労働協約並びに旧賃金協定の各効力存続期間についても、労働協約第五三条が一箇年という有効期間を定め、且つその期間満了に際して当事者一方の解約権の行使により失効するものとしているのに対し、旧賃金協定第一五条は協定の有効期間を定めておらず、そのうえ右協定は会社・組合両者の合意によつて始めて改定または修正することができる旨を定めていることが認められる。旧賃金協定第一五条の右の如き改定または修正に関する規定は、後に述べるように、その効力を否定されざるをえないけれども、かような規定を設けることを合意した会社・組合両当事者は、旧賃金協定が労働協約とその運命を共にするものとは考えていなかつたものと推認するのが相当であり、更に疎甲第一、第七号証によれば、従来の慣行としても、賃金に関する協定は経済事情の変動に伴い、右の労働協約とは別個に、会社と組合との団体交渉を通じてほぼ一年ごとに改定締結され、その都度新らしく成立した賃金協定自体の中で、従前の賃金協定を廃止する旨明言するのが建前であつたことが認められる。
以上認定したところよりすると、旧賃金協定は、変動する経済事情に即応して、その都度妥当な基準を設定する必要の大である賃金の特殊性に鑑み、これを比較的固定性あるその他の労働条件とは別個に律しようとするところから生まれた協定で、それ自体独立別個の労働協約であり、単に前示労働協約中の賃金に関する規定を敷衍してその細目を定めた付属規定に止まるものではないと解するのが相当である。
(二) 右のとおり旧賃金協定は会社において基本的と称する労働協約の付属規定ではなく、別個独立の労働協約であると解すべきである以上、これを失効させるためには、単に右の労働協約を改廃する手続を経るのみでは足りず、これと異時又は同時に旧賃金協定自体を改廃する手続を経なければならないことは明らかである。よつて以下に旧賃金協定が会社の主張するように適法な手続によつて失効するに至つたか否かにつき判断する。
(1) まず、この点につき会社は、旧賃金協定は昭和四〇年二月六日会社組合の合意で、同年三月八日失効させることとした旨主張する。一般に労働協約が締結当事者双方の合意により解約しうることは疑いがない。そこで本件において、組合と会社との間で旧賃金協定を解約する旨の合意が成立したか否かにつき検討するに、疎乙第二及び第一五号証その他全疎明によるも、旧賃金協定はもとより会社の主張する労働協約についてすら右解約の合意の成立を認めるに足るものはない。従つてこの点に関する会社の主張は採用しえない。
(2) 次に会社は、昭和四〇年二月七日付申入書を以て組合に対し、旧賃金協定を破棄する旨の通告をなし、これによつて同協定を解約することになつた旨主張する。旧賃金協定が有効期間の定めのない労働協約であることはさきに認定したところより明らかである。而して有効期間の定めのない労働協約は、労働組合法第一五条によれば、締結当事者の一方が同条第三・四項に定める手続に則り解約することができる。従つて格段の事由のない限り、旧賃金協定も労働組合法にいわゆる有効期間の定めのない労働協約として右条項に従い締結当事者の一方的意思表示を以て解約しうる理となるところ、旧賃金協定はさきに認定したとおり、その第一五条において、右協定は会社・組合双方の合意によるほか修正又は改定することはできない旨を定めている。右第一五条の規定は、旧賃金協定を締結当事者が一方的に解約することができない旨を定めたもの、換言すれば締結当事者である会社・組合の双方が旧賃金協定に関し労働組合法第一五条第三項の認める労働協約の解約権を放棄することを協定自体の中で宣言したものであることは疑いない。そこで労働組合法第一五条第三項の労働協約の解約権は果して締結当事者においてこれを放棄しうるものか否かについて検討してみなければならない。労働組合法第一五条第一・二項には労働協約の有効期間を最長三年に制限し、三年を超える有効期間の定めをした労働協約は、三年の有効期間の定めをした労働協約と看做す旨の規定が設けられており、同条項が強行規定であることは明白であるが、これは社会的・経済的諸条件の変化につれ変動せざるをえない労使関係を長期に亘り同一の労働協約で固定することは望ましくないとの考慮に出たものと解するのが相当である。これと対比して考えると、有効期間の定めのない労働協約について解約権放棄の条項を定めることを許容するときは会社又は組合のいずれか一方においてその改定に応じない限り、永久にその効力を失うことはないという不当な結果を容認せざるをえないことになり甚だ不合理であるから、労働組合法第一五条第三項の有効期間の定めなき労働協約の解約権は、これを放棄しえないもの、換言すれば右規定はこれと異なる定めをした労働協約乃至労使慣行を無効ならしめる強行規定であると解するのが相当である。してみると、旧賃金協定第一五条は労働組合法第一五条第三項に反し無効であるといわざるをえない。従つて、旧賃金協定も同法第一五条第三・四項に定めるところに従い会社或は組合の署名し又は記名押印した文書によつて九〇日の予告期間を置いてこれを解約することができることになる。よつて進んで本件において会社が労働組合法第一五条所定の手続に則り組合に対して旧賃金協定の解約をなしたか否かにつき検討するに、疎乙第二、第三及び第六号証によれば会社は労働協約第五三条に基き、昭和四〇年二月七日会社の記名押印のある同日付申入書を以て組合に対し、労働協約を昭和四〇年三月八日限り破棄する旨の通告をなし、右申入書はその日付頃組合に到達したことを認めうるが、しかし右申入書に記載されている「労働協約」とは一箇年の有効期間の定めあるものを指すことは明らかであるので、その中に有効期間の定めのない別個独立の労働協約である旧賃金協定が含まれているとは到底認め難く、その他に右申入書中旧賃金協定をもあわせて破棄すべき旨を諒解し得る文言の記載は認められない。してみると有効期間の定めのある労働協約についてはともかく、有効期間の定めのない旧賃金協定に関し会社が組合に対して右申入書により解約の意思表示をなしたものとはなし難い。従つて右申入書により旧賃金協定が解約予告されたとの会社の主張は、予告期間の点を論ずる迄もなく採用することはできず、その他に旧賃金協定が労働組合法第一五条所定の手続を経て解約されたことを認むべき疎明はない。
(三) 叙上の如く有効期間の定めのない労働協約たる旧賃金協定が会社の主張する合意解約の成立或は解約権の行使によつて失効したとは認められない以上、同協定は昭和四〇年六月二五日現在依然として会社・組合間の労使関係に適用されるものであることは明らかであるところ、旧賃金協定により算出した申請人らの昭和四〇年六月二五日に受給すべき賃金が別紙債権目録II欄記載どおりの金員となること、会社が申請人らに対し前同日に、同目録III欄記載どおりの金員しか支払わなかつたことは(第二に判示のとおり)当事者間に争いがないので、申請人らは会社に対し、旧賃金協定にもとづき算出される賃金の未払部分たる前同目録IV欄記載の金員(同目録II欄の金員より同III欄の金員を控除したもの・但し申請人小川原昭三についてはその未払賃金は金一四、四二三円となるところ、同申請人はその内金である金一四、四一四円を未払賃金として請求している)の支払を求めうることになり、被保全権利に関する申請人らの主張は理由がある。
二、仮処分の必要性について
タクシー会社従業員として、給料生活者たる申請人らがそれぞれ一万円前後の賃金の支払を拒否されたことにより、生活に多大の打撃を受け、これを放置するときは回復し難い損害を蒙るであろうことは、みやすい道理であつて、このことは疎甲第一〇号証によつても看取することができる。してみると、本件未払賃金の仮払いを求める申請人らの仮処分申請はその必要性があること明らかである。
三、結語
よつて、本件申請をいずれも保証を立てさせずに認容することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 石沢健 藤浦照生 谷川克)
(別紙省略)